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金沢はキリシタン文化都市だった⁉

スタッフブログ / 2020.11.03

こんにちは~Eguchiです。

先日、一冊の本を読んで

「金沢に住んでいるのに、金沢のことなーんも知らんかった(・・;)金沢はキリシタン文化都市だった⁉

まさしく、チコちゃんの「ボーっと生きてんじゃないよ」やなあ…」という体験をしました。

それがこの「秀吉はキリシタン大名に毒殺された」田中進二郎著 という本です。

帯にも加賀前田の記載がありますが、前書きではさらに、「この本の真の主人公は 利家とまつ である」と書かれていて、身近な感じがするなあと軽い気持ちで読み始めたのですが、なにしろ自分が生まれてから見聞きしてきたものの意味、なぜそれがそこにあるのか、といったことがどんどん分かってきて、多分記憶喪失の人の記憶が蘇ったとき、こんな感じなのでは? というくらいの衝撃でした。もちろん、勝手な想像、思い込みもありますが。

金沢に関係する記述としては、利家とまつが高槻城を追われた高山右近の面倒を見て、右近は金沢城内に京都の南蛮寺を模した金沢教会(菱櫓として再建)を建て、布教活動も行い、1609年日本初のクリスマスパーティーを開いたり、高岡城や辰巳用水にも関わっていた。また、古九谷は茶室でミサや洗礼を行う際の洗礼盤、加賀では粘土が取れず、素焼皿の下関からの密貿易ルートが北前船に、運び込んだ寺が大聖寺(キリシタン寺そのものの名前! バレないように大正持と表記した。公儀隠密の松尾芭蕉が奥の細道で偵察に来ている!)五箇山・白川郷では火薬製造の為硝塩を製造していた為年貢率は低かった、この硝塩を保存していた金沢城の硝塩小屋に落雷があり城下町まで燃え広がったことで、防災の為辰巳用水が整備されることになった、七尾の本行寺には利家とまつや、前田家の歴代藩主が密かに拝んだ十字架が今も残されている…などなど、知っている地名などがつぎつぎと出てきて、これらがパズルのようにつながっていくので、日本史は世界史の一部、加賀史もその一部と感じることができました。しかし、加賀が隠れキリシタン王国だったということは、地元の人でも忘れてしまっているとありましたが、確かにその通りだと思います。

それでも、金沢の人はまずこの場所を思い浮かべるのではないでしょうか?

「なぜここにステンドグラスがあるのか、分かった!」と感じました。

利家とまつを祀る「尾山神社」建立は明治に入ってからなので、あくまで勝手な想像になりますが、無関係ではないだろうなと思いました。

そういえば、このすぐ目と鼻の先に「金沢聖霊病院」というカトリック系病院があり、ウチの子供達は2人ともここで生まれていて、お宮参りや初詣、七五三も「尾山神社」とすぐ近くだったのですが、「キリシタン文化」というこれまで意識してこなかった視点でみると、繋がってくるような気がして、今までなんで気が付かなかったんだろうと思います。ただ、聖霊病院は大正に入ってから作られているので、今回の話とはまた関係はないのですが。もしかしたら自分が12月24日生まれなのも…偶然ですよね。

戦国大名の多くが洗礼名を持っていたことに驚きますが、当時のキリスト教は戦国大名や有力藩士にとって、世界最先端の思想や数学、工学や医術と伴っており、非常に魅力的に見えたのではないかと思います。そう考えると、洗礼名は今でいうと、スマホかメールアドレスくらいのもので、「えー、もってないの?」という感じだったのではないでしょうか?

金沢の人は、結構「新しもの好き」を自称する人が多いと感じますが、戦国時代からそうだったと考えると、親しみがわいてきます。

それは今の「舶来土建」にもつながっているとか…いないとか(・・;) Eguchi

 

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